平安時代のはじめ、弘仁八年(817年)に天台宗開祖の最澄が東谷布教のために信濃に入ってきました。しかし途中の道が険しく、その峠越えが大変厳しいことから、最澄は神坂峠の信濃側と美濃側の両方に旅人を救済する布施屋「広拯院」「広済院」をつくりました。

 現在の月見堂がこの広拯院跡と伝えられています。


 阿智村を古代の道「東山道」(とうさんどう)が通過していたことがわかっています。
 
 大宝元年(701年)、朝廷は近江国(滋賀県)を起点に、「東山道」という道路をつくりました。東山道は美濃国(岐阜県)から信濃国(長野県)へと入り、群馬県、栃木県を経て東北地方へと通じていました。阿智村は岐阜県から長野県へと抜ける場所に位置しています。




 天台宗の開祖最澄は、東山道の難所、神坂峠を越す旅人の苦難をを見かね、この地に広拯院を建てられました。このことから園原周辺は比叡山と大変縁の深い地であり、平成12年6月「信濃比叡」の呼称が許されました。



 源義経が奥州に下る時、馬をつないだといわれる一本桜です。春には美しい花に彩られます。水田の水面に映る姿も美しく、毎年たくさんの人が訪れます。



 東山道・園原ビジターセンター「はゝき木館」では歴史と文学の里 "園原"を紹介しています。

 東山道・園原ビジターセンターでは園原の魅力を紹介する常設展とともに企画展を行い、様々な角度から園原の魅力を紹介しています。